「発達障害のドキュメンタリー」と「朝鮮学校無償化判決ニュース」について

昨夜見た、「発達障害のドキュメンタリー」と「朝鮮学校無償化判決ニュース」について
昨夜、夜勤で、いつも寝るまで、食い入るようにテレビを見られる利用者さんのGさんのためにつけてたTV番組で、発達障害の女性が買い物に行くシーンのレポートがあり、興味深くて仕事しながら見ていた。
蝶々を追って道を外れたり、倒れている自転車を一生懸命直したり、店に入れば乱れているキャンディーを整頓したり。挙句、砂糖の絵柄が違うと困って泣きそうになったり。仕草や語り口も幼児のようで、無邪気、純粋、一途といった印象。しかし、ピアノを弾くとプロ並みにうまい。
自分の興味あることには優れた能力を発揮するが、人とのコミニュケーションがうまく取れなかったり、社会生活不適応な症候など持つ子供をかつては自閉症と呼んでいたような気がする。
最後には、他者恐怖症を乗り越えてオーケストラと一緒に演奏するステージをやり遂げる。
彼女の他人への恐怖心は、集団への不適応から虐めにあったことに起因するらしいが、幼児的仕草などはそうした強度のストレスから発症した防御的な症状で解離性なんとかというらしい。
しかし、演奏を通して、「他人と語り合える」と感じ、その喜びを素のままに表現する彼女は可愛い。
私たちは「相手にどう思われるか」を気にして自分を制御し、自分がどう感じているか、すら率直に判断できなくなってしまうほどに自己規制してどうにか「人並み」を演じている。
彼女たちを障害者として差別することは、確かに社会的暴力と言える。それは具体的には、大衆的(集団的)個人が、純粋な個人を攻撃する現象である。
「集団に馴染めない」「友達もいない」自分には、彼女、もしくは彼らとどこか通じるところがあるように感じる。それが彼女、もしくは彼らの姿に心を動かされ、共感を感じる理由だろう。
同日、昨日のニュースで。「朝鮮学校無償化の判決」
まず、疑問に思ったのは、朝鮮学校を無償化の対象外としたことが果たして差別になるのか?という疑問。
「朝鮮学校を高校授業料無償化の対象から除外したのは不当な差別で憲法違反にあたるとして、大阪朝鮮高級学校(大阪府東大阪市)を運営する学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市)が、国に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は28日、国に取り消しを命じ、無償化対象に指定するよう義務づける学園側勝訴の判決を言い渡した。」
産経新聞
ということだが・・・
朝鮮学校は、
 「敬愛する金正日将軍様を、国防委員長として高く仰ぎお仕えしていることは、わが祖国と人民の大きな栄光であり幸福である」。こうした教科書を用いてきた朝鮮学校の教育に、どこまで「自主性」があるのだろうか。教師や生徒に体制批判の自由はあるのか-。
とあるように、独裁国家礼賛教育を行い、卒業生が日本人拉致を補助した経緯もある。
外交問題を教育機関に影響させるな、という意見はもっともらしく聞こえるが、肝心の教育内容が、自由主義国家のそれにふさわしくなければ公金を使う必然性はない。
日本国内の教育機関でも「反日教育をする自由」がある、と仮にしてもそれを公金を使って援助する理由はない筈。
「法の支配」という概念からは完全に逸脱した誤った司法判断である。
自分は、こうした左翼的えせ平等主義に基づく、司法判断を裁判所が、いかにも「反差別」的判断であるかのように下すことに不安を感じる。日本が全体主義に引きずり込まれる危険性を感じて。
この勝訴を、朝鮮学校側は、「公正な評決」というが、常識的に考えてどこにも公正性はない。
私的には、裁判所がこうした判決を出した、という現象に公正という概念が崩れて行くことを懸念する。