映画「KCIA 南山の部長たち」を観た。「男はなぜその日大統領を暗殺したのか?」というキャッチコピー通りのモチーフで作られている。
映画として、ドラマとしてよくできていたと思う。そしてこれが歴史の事実に基づくドラマであることに震撼する。
《民主主義》というものが、当たり前のように私たちは思っているが、歴史を顧みると近代においてようやく定着した制度であることが思い起こされた。
以下、フィルマークスに寄せられた感想
https://filmarks.com/movies/85545#goog_rewarded
KCIA 南山の部長たち(2018年製作の映画)
3.5
そんなに昔ではない時代に韓国ではまだこんなことが起こっていたなんて。
イビョンホンさんが演じる中央情報部のキム部長目線で物語は進み、私もキム部長に感情移入しながら見てたから大統領と警護室長にイライラした。
キム部長が意を決した結果がこんなことに終わるなんて。現実は厳しい。
ソヒョヌさん、特徴的な髪型だと思ったら全斗煥をモデルにしてたのか。次に見た『ソウルの春』でもファンジョンミンさんの髪型同じだったw
朴正煕(パク=チョンヒ 1917~1979)について
世界史の窓 というサイトで調べたところ、色々と興味深い記述があった。
https://www.y-history.net/appendix/wh1603-084.html
1961年、軍部クーデターで権力を握り63年より大統領。1971年には憲法を改正、維新体制と言われる独裁体制を樹立した。この間、韓国は開発独裁のもとで経済を急成長させた。1979年に部下によって暗殺され、軍部独裁政治は全斗煥が継承した。
ちなみに確か、朴槿恵のお父さんだったような・・・
ベトナム戦争への派兵をきっかけに経済成長
韓国軍の派兵の見返りとしてアメリカは多額の資本を韓国に投入し、その経済成長を助けた。朴正熙時代の韓国の急速な工業化、経済成長の背景にはベトナム戦争への協力への見返りとしてのアメリカ資本の導入があった。また、日韓基本条約の締結を急いだのも、日本の経済支援を得る目的があった。
独裁政権だった
1971年には金大中らの民主化運動を弾圧して大統領に三選され、1972年10月には北の脅威が高まっているとの口実によって憲法を改正、大統領を国民会議による間接選挙に改め「10月維新」といわれる体制を作り上げた。経済成長とともに中間層が成長し、韓国でも政治の民主化を求める声が強くなったが、朴政権は中央情報局(KCIA)などを用いて諜報活動をおこない、民主化運動を反政府活動として厳しく取り締まった。その過程で多くの学生や活動家に犠牲が生じた。
独裁政権ではあったが、現在の韓国の経済成長基盤を作った。
『韓国経済は工業部門、特にITや通信部門で急成長し、1980年代は韓国は新興工業経済地域(NIEs)の一つとして台湾やシンガポール、香港とともに世界経済の中で重要な位置を占めるようになった。
軍部と諜報機関によって国民を抑えていた朴政権であったが、かえって内部からその矛盾が暴発することとなった。1979年10月26日、朴正熙は部下の中央情報局員によって殺害され、唐突にその独裁政治は終わった。まもなく全斗煥が軍を掌握して軍部独裁政権は継承し、1987年まで続き、ようやく国民が直接選挙する民主的な大統領制を実現させた。2013年3月、韓国初の女性大統領となった朴槿恵は、朴正煕の長女である。』
『日韓基本条約締結 朴正煕政権は反共姿勢を強め、憲法を改正して責任内閣制を改めて大統領制とした。それを第三共和政と称したが、実態は朴正煕による独裁体制であった。朴正煕政権はアメリカのベトナム戦争に全面的に協力し、1965年には日韓基本条約を締結して反共陣営としての日本との提携を強めた。
ベトナム戦争と韓国 ベトナム戦争が本格化した1965年から73年にいたる期間、アメリカの要請を受けて約5万人、延べ31万人に及ぶ韓国軍実戦部隊が派遣された。その規模はオーストラリアやニュージーランドを含む東南アジア条約機構(SEATO)諸国全体の約4倍にあたっていた。ベトナム戦線では韓国軍はその残虐性が恐れられ、実際、ベトナムにおける悪感情はその後も強く残った。一方、韓国軍の派兵の見返りとしてアメリカは多額の資本を韓国に投入し、その経済成長を助けた。朴正熙時代の韓国の急速な工業化、経済成長の背景にはベトナム戦争への協力への見返りとしてのアメリカ資本の導入があった。また、日韓基本条約の締結を急いだのも、日本の経済支援を得る目的があった。』
『朴正熙は部下の中央情報局員によって殺害され、唐突にその独裁政治は終わった。まもなく全斗煥が軍を掌握して軍部独裁政権は継承し、1987年まで続き、ようやく国民が直接選挙する民主的な大統領制を実現させた。』
とあるように、軍部独裁政権は朴正煕殺害後も継承され、なんと1987年まで《国民が直接選挙する民主的な大統領制》ではなかった、ということだから、私たちが当たり前に考えている言論の自由というものが実は普通でも当たり前でもないのではないか?
そんな問いも持った。
Youtubeで無料で観れる!
KCIA 南山の部長たち
コメント