韓国 1997年の通貨危機はなぜ起こった?

「1997年の韓国通貨危機は、主に過剰な設備投資による企業の高負債と、金融機関のずさんなリスク管理という国内の構造的問題が、アジア通貨危機による海外投資家の資金引き揚げによって表面化したことで引き起こされました。」

ということなので、現在の日本とは正反対の状況だったようだ。

AI による概要

1997年の韓国通貨危機は、アジア通貨危機の一環として、財閥企業の過剰な設備投資とそれによる巨額の借金、そして金融市場の自由化による短期対外債務の急増が根本原因です

。タイの通貨危機を契機に外国資本が流出し、ウォンが急落し、 起亜自動車などの企業倒産が相次ぎ、最終的にIMFの管理下に入る事態となりました。 

危機発生の背景

  • 財閥企業の過剰投資と高負債体質:1990年代の韓国経済成長を牽引した財閥企業は、過剰な設備投資を行い、多額の借金を抱えていました。 
  • 短期対外債務の急増:金融市場の自由化・開放が進み、海外からの短期・投機的な資金流入が急速に増加しました。これにより、韓国企業の財務体質は悪化し、対外債務が外貨準備を大きく上回る水準に達しました。 
  • アジア通貨危機への波及:1997年7月のタイ・バーツの管理変動相場制移行と大幅な下落が引き金となり、アジア周辺国に投機的な通貨売りが波及しました。韓国もその影響を免れず、外国資金の流出が加速しました。 

危機の発現と進行

  • ウォンと株価の急落:外国資金の逃避によりウォンが急落し、株価も下落して金融危機の様相を呈しました。 
  • 企業の倒産連鎖:借入金の返済ができなくなった企業、特に起亜自動車の倒産が相次ぎ、経済状況はさらに悪化しました。 

結末

構造改革の断行:IMFの管理下で、企業のリストラ、再編、財閥の解体・健全化、労働市場の柔軟化など、大胆な構造改革が実施され、韓国経済は長期的な競争力強化へとつながりました。 

IMFによる救済と管理:深刻な経済危機に直面した韓国は、国際通貨基金(IMF)の緊急融資を受け入れ、厳しい監視下に置かれました。 

さらに詳しく・・・・

1997年の韓国通貨危機は、主に過剰な設備投資による企業の高負債と、金融機関のずさんなリスク管理という国内の構造的問題が、アジア通貨危機による海外投資家の資金引き揚げによって表面化したことで引き起こされました。 

以下に、危機に至った主要な原因を詳述します。

企業の過剰投資と高負債

  • 財閥の過大経営: 1990年代の経済自由化とグローバル化の流れの中、韓国の財閥(企業グループ)は、政府の暗黙の保証を前提に、収益性を度外視して過剰な設備投資を拡大しました。
  • 低収益・高負債: 鉄鋼などの過当競争セクターでの過剰投資は、次第に収益性の悪化を招き、企業の負債は膨らんでいきました。
  • 財閥間の相互保証: 財閥グループ内では、子会社間で互いの債務を保証し合う慣行が広まっており、経営破綻が発生した場合にその影響が広範囲に及ぶリスクを高めていました。
  • 財閥の連鎖倒産: 1997年1月には韓宝(ハンボ)グループが、11月には起亜(キア)自動車が倒産するなど、財閥の連鎖的な破綻が危機を決定的にしました。 

金融機関の構造的問題

  • ずさんな融資: 財閥への過剰な貸し付けは、銀行の不良債権を急速に増加させ、金融機関の財務状態を脆弱なものにしました。
  • 短期外貨借入への依存: 国内銀行や企業は、低金利の短期外貨借入に過度に依存していました。これにより、ウォンの下落リスクに対して脆弱な状態でした。
  • 外貨資産・負債のミスマッチ: 多くの金融機関が外貨による短期負債を長期的な国内資産で運用しており、危機時に外貨が引き揚げられると資金繰りが悪化しました。 

外部要因と通貨暴落の連鎖

  • アジア通貨危機の影響: 1997年7月にタイ・バーツが下落したのを皮切りに、アジア全体に通貨危機が波及しました。これにより、海外投資家はアジア諸国への警戒感を高め、韓国からの資金引き揚げを加速させました。
  • 円安の進行: 1990年代半ばから進んだ円安も、韓国製品の輸出競争力を低下させ、貿易収支を悪化させる要因となりました。
  • ヘッジファンドの投機: 不安定なアジア各国の状況を狙った投機的な動きも、通貨危機を加速させる一因となりました。 

これらの複合的な要因が重なり、韓国経済の脆弱性が露呈。海外投資家の信頼を失った結果、大規模な資本流出とウォンの暴落が起こり、韓国は国際通貨基金(IMF)に支援を要請する事態に陥りました。 

韓国映画「国家が破産する日」

コメント

コメントする

目次