星新一のショートSF「ボッコちゃん」は、見た目は美しいが、人の言うことをオウム返しすることしかできないロボット。「ボッコちゃん」に振り回される人間の悲劇を描く作品。
ショートショートの作品として読んだのは、20代の時、30年以上前なので、どんな作品か忘れていたが、NHKの短編ドラマで「ボッコちゃん」を観て、あらためて星新一の先見性の深さに驚かされた。
ドラマのストーリー
ボッコちゃん(水原希子)はバーのマスター(古舘寛治)が作った人型ロボット。見た目は美人だが、能力はいまひとつ。ほとんど人の言うことをオウム返しすることしかできない。それでも、ベテランホステス(片桐はいり)を横目にたちまち店の人気者に。そんなある日、父親(杉本哲太)に連れられて一人の青年(岡山天音)がバーにやって来る…
NHK公式サイトより
星新一のショートSF集「ボッコちゃん」の刊行は1971年。
半世紀以上前の作品でありながら、(ディティールは70年代風の古めかしさはあるが)その先進性はやはり突き抜けている。
その先進性を考えてみる。
ストーリーの構造分析
ストーリーを分解すると、
1 水原希子演じるボッコちゃんは、見た目は美人だが、能力はいまひとつの人型ロボット。
ほとんど人の言うことをオウム返しすることしかできない。
2 しかし、その無機的な対応にも関わらず、ぞっこん惚れ込んでしまう男まで現れる。
3 そして情念に取り憑かれた男の暴走により、悲劇が起こる。
ショートストーリーなので起承転結で見るより、三幕構成で見るとわかりやすい。
(ストーリーがシンプルなので、「ストーリーとは何か?」を考える教材としても良い)
1・・・発端、設定、フック(掴み)
3・・・結末(悲劇の結末)
2・・・発端から結末に至る経過となる〈つなぎ〉(店の売り上げに貢献する便利なAIロボットがall diedという悲劇の結末に至る展開イベント)
これは小説のストーリーを考える上のでのヒントになりそうだ。
テーマやモチーフを反映するプロット(イベント)Aとプロット(イベント)Cを考え、それからプロットAとプロットCを繋ぐプロットBを考えるというやり方でストーリーを考えるという技法もありそうだ。
(多分、星は、発端(設定)を考えそれから次に結末を思いつき、最後に2幕目の展開部分を考えたような気がする)
「おうむ返ししかできないAIロボット」というアイデアを基点に、様々なストーリーのバリエーションが考えられる。
見栄えはいいが、基本はおうむ返し、模倣しかできないAI
星新一が先進的なのは、現在のAIの普及とロボット化の進展を予見しているかのようなリアリティ。
対話型AIであるchatGPTなど使ったことのある人はわかっているように、AIの哲学的要素・意思性は基本「おうむ返し」である。だが知識・情報処理能力は素晴らしく、人間以上に《体裁の良い見栄えのする文章》などが書ける。(しかし、表層だけで中身がない場合が多い=魂に訴えかけない)
そんなAIロボットの垂れ流す情報を鵜呑みにする人間は・・・・みたいな結末に近いことが起こりうる・・・という作家、星新一の想像力、直感による寓話的ストーリーの創作な訳だが・・・こういう寓話の本質をAIはどこまで模倣できるのだろうか?(いや、本質を理解しないAIがどこまで本質を理解したふりができるのだろうか?)
意地悪すぎる見方だが、そんな疑問も感じる。
と同時に、賢そうに見えるAI(実際、賢いのだが・・・)に一抹の寂しさと哀愁を感じてしまう。
そういえば、星新一の作品の読後も、寂しさと滑稽さが入り混じった哀愁が心に漂ってしまう。
少なくても「明るい希望」は見えてこない。
そこがちょっとな・・・「短いけど、軽く読めない」ハードルの高さになっている。
コメント