NHK短編ドラマ『ボッコちゃん』を見た感想

星新一のショートSF「ボッコちゃん」は、見た目は美しいが、人の言うことをオウム返しすることしかできないロボット。「ボッコちゃん」に振り回される人間の悲劇を描く作品。

ショートショートの作品として読んだのは、20代の時、30年以上前なので、どんな作品か忘れていたが、NHKの短編ドラマで「ボッコちゃん」を観て、あらためて星新一の先見性の深さに驚かされた。

目次

ドラマのストーリー

ボッコちゃん(水原希子)はバーのマスター(古舘寛治)が作った人型ロボット。見た目は美人だが、能力はいまひとつ。ほとんど人の言うことをオウム返しすることしかできない。それでも、ベテランホステス(片桐はいり)を横目にたちまち店の人気者に。そんなある日、父親(杉本哲太)に連れられて一人の青年(岡山天音)がバーにやって来る…

NHK公式サイトより

星新一の不思議な不思議な短編ドラマ「ボッコちゃん」 8/26(月) 午後10:45-午後11:00 放送
見逃し配信期限 :9/2(月) 午後11:00 まで

公式サイト


星新一のショートSF集「ボッコちゃん」の刊行は1971年。

半世紀以上前の作品でありながら、(ディティールは70年代風の古めかしさはあるが)その先進性はやはり突き抜けている。

その先進性を考えてみる。

ストーリーの構造分析

ストーリーを分解すると、

1 水原希子演じるボッコちゃんは、見た目は美人だが、能力はいまひとつの人型ロボット。
ほとんど人の言うことをオウム返しすることしかできない。

2 しかし、その無機的な対応にも関わらず、ぞっこん惚れ込んでしまう男まで現れる。

3 そして情念に取り憑かれた男の暴走により、悲劇が起こる。


ショートストーリーなので起承転結で見るより、三幕構成で見るとわかりやすい。
(ストーリーがシンプルなので、「ストーリーとは何か?」を考える教材としても良い)

1・・・発端、設定、フック(掴み)

3・・・結末(悲劇の結末)

2・・・発端から結末に至る経過となる〈つなぎ〉(店の売り上げに貢献する便利なAIロボットがall diedという悲劇の結末に至る展開イベント)

これは小説のストーリーを考える上のでのヒントになりそうだ。

テーマやモチーフを反映するプロット(イベント)Aとプロット(イベント)Cを考え、それからプロットAとプロットCを繋ぐプロットBを考えるというやり方でストーリーを考えるという技法もありそうだ。

(多分、星は、発端(設定)を考えそれから次に結末を思いつき、最後に2幕目の展開部分を考えたような気がする)

「おうむ返ししかできないAIロボット」というアイデアを基点に、様々なストーリーのバリエーションが考えられる。

見栄えはいいが、基本はおうむ返し、模倣しかできないAI

星新一が先進的なのは、現在のAIの普及とロボット化の進展を予見しているかのようなリアリティ。

対話型AIであるchatGPTなど使ったことのある人はわかっているように、AIの哲学的要素・意思性は基本「おうむ返し」である。だが知識・情報処理能力は素晴らしく、人間以上に《体裁の良い見栄えのする文章》などが書ける。(しかし、表層だけで中身がない場合が多い=魂に訴えかけない)

そんなAIロボットの垂れ流す情報を鵜呑みにする人間は・・・・みたいな結末に近いことが起こりうる・・・という作家、星新一の想像力、直感による寓話的ストーリーの創作な訳だが・・・こういう寓話の本質をAIはどこまで模倣できるのだろうか?(いや、本質を理解しないAIがどこまで本質を理解したふりができるのだろうか?)

意地悪すぎる見方だが、そんな疑問も感じる。

と同時に、賢そうに見えるAI(実際、賢いのだが・・・)に一抹の寂しさと哀愁を感じてしまう。

そういえば、星新一の作品の読後も、寂しさと滑稽さが入り混じった哀愁が心に漂ってしまう。
少なくても「明るい希望」は見えてこない。

そこがちょっとな・・・「短いけど、軽く読めない」ハードルの高さになっている。

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