そして親子の愛が蘇れば、介護の問題の大半は片付く
第一話で、バリキャリの叔母の「孤独死」にショックを受けた鳴海(綾瀬はるか)は、孤独死回避のために〈遅ればせながら〉婚活を始めるが・・・・
「令和になって7年って知ってます? 結婚すれば安心って昭和の発想ですよね」と同僚の那須田(佐野勇斗)に言われ、「私は、一人で生きて一人できちんと死にたいんだ!」と気付いた鳴海は「この一人の人生をいかに楽しむか」「そして孤独に死んで腐らないために、どう生きるか!?」に方向転換する・・・
第二話は、導入部は那須田くん視点で描かれる。で、前回の、鳴海に対して『全力で年上との結婚を止めるように煽った』経緯がモノローグで語られる。
「ひとりでしにたくない」から「ひとりでしにたい」に方向転換した鳴海だったが、そのための方法をネットで検索しても「早めに老人ホームなどの施設に入る」「早めに共同生活などを始める」「生存確認してくれるサービスを利用する」などパッとしない情報ばかり・・・。
そんな時、鳴海は、自分の終活以前に、【親の老後の世話】があることに気がつく。
そして、家事など生活能力のない昭和の親父の典型である自分の父親の『介護』問題があることに慄き、親の意識をなんとか終活に向けさせねば、と思い始める。
(ここで、親の介護の大変さを教える同僚の松岡陽子(岸本鮎佳)が、「弟がいるが『クソの役にも立たない』」と貶すシーンは面白かった。またさらっとコミカルに特養(特別養護老人ホーム)のことや要介護度についての情報を説明調にならずに視聴者に伝えているのも斬新だった)
しかし、親の終活を下手に勧めたら、非情な奴と思われてしまう・・・が、「気が重いことほど頭が回るうちに考えなければならない」と思い始める鳴海。
そして、那須田の〈煽りスキル〉を、親が終活に意識を向けることに利用できないか?と思いつく鳴海。
そこで不本意ながら、〈流れ〉でヘンタイ孤独死死体マニアの那須田を行きがかりで、同伴者にして自宅訪問することになる。
叔母の孤独死のことを鳴海の父親から聞き出す那須田だったが、突然、父親に「自分は孤独死の心配はないと思われているのですか?」と問いただす那須田。そして父親が「世話」を鳴海に任せようと思っていることが判明し、「それは現実無理でしょう」と那須田に論理的に説明され凹む父親。
さて、このドラマのテーマは何か? 老後モンダイ・・・?いかにキレイに人生の終わりを締め括れるのか?みたいなコト?
・・・なのか、よくわからないが、80年前は、親の老後の世話も、結婚も「当たり前」だったのが今現在は、〈選択肢〉の範疇になっている現実がある。しかし、結婚はともかく、親の老後の世話は、施設に入れるか、自宅で面倒見るかは自由選択のように見えて実際は〈生活のための仕事〉に左右されるのが大方だろう。つまり、働きながら親の世話は苦行である、というのが現実。(ことに勤め仕事となると、介護や世話に時間取られるのでパート仕事では生活費も賄えない)朱野帰子の『対岸の火事』で描かれているように、働きながらのワンオペ育児と同じ、無理ゲーである。
つまり、選択の自由は与えられているけど、働きながら介護、育児はキツすぎるんですけど? という悲鳴が列島全体に響き渡っているような感じ?
REAL情報的には・・・・
現在39歳の娘なら親は70歳ぐらいだろうか。妻はまだ60代だろう。
このドラマのお父さんは、「女は結婚、親の世話は娘がやってくれて当然(あるいは息子の嫁が)」と考えている世代らしい。
今の20代には、そのような価値観や世界観は、どーしよーもないシロモノにしか見えないだろう。(まー個人差はあるだろうが、考え方が一律ではなくなっているのは間違いない)
妻は、生きた化石か燃えないゴミ、リサイクル不能な粗大ゴミ、要するに仕事しか能のない自活力ゼロの役立たず男=夫であるようで、熟年離婚を考えている。
70代というと団塊世代の下ぐらいだろうか?この世代は、そうそう古い価値観に染まりきった人たちばかりでもないから、粗大ゴミ化する人はそう多くはないと思うが、それでも20代との価値観のギャップは否めない。ぎり30代の娘とも大きなギャップがあることだろう。
こうした『価値観や世界観が相容れないために親子関係に軋轢が生じている』事態というのは、REAL情報的には、地球人の親子関係の良好さを妬み、遺伝子落下させ、闘争性や好戦性、攻撃的遺伝子を植えつけた某エイリアンが原因のようである。
(原種の地球人の母親の子供を愛する姿を見て、プレアデス人はショックを受けたらしい。そして羨ましさのあまり、地球人にも愛のない親子関係で苦しめてやろうと、家族関係が壊れるような各種工作を行った(貧困化、格差、差別、虐待、虐め、戦争、価値観のギャップ等々)
なので、親子の愛を復活させることと、原種の地球人の遺伝子を復活させることはイコールと考えていいだろう。
当然、価値観や世界観のギャップを乗り越えて、「お互いを思いやる」「尊重し合う」ことが重要になるが、子供を愛していない親はいない筈である(サイコパス以外は)なので、大概の親子関係は修復可能だし、上手くいく筈である。
そして親子の愛が蘇れば、介護の問題の大半は片付く。
コメント